子どもに捧ぐ
人生のすべてをひっくり返しても、子どもの存在だけは守りたい。
私は一人目の子どもを産んだ瞬間にそう思った。
私が特別ではなく、母親になった瞬間には、今までにはない感情を抱くものだろうと思う。
それまでは自分が一番大事だった。
それが子どもが一番になる。
すごいことだった。
子育てがとてつもなく睡眠不足の連続で、思うように食事もとれず、泣く我が子を愛おしい気持ち以上に、疲労困憊になっていく。
それでも、子どもが悪いとは思わない。ただ、寝かせてほしかっただけ。自分の時間がほしいからなんて1ミリも思わない。
子どもってすごいパワーをもっている。
こんなにすごいパワーの子どもを一緒に育てたいと思ったから、夜泣きもましになったころ、寝室で寝たいと夫に言ったら・・・
「うるさいから別で寝てくれ」と言われてしまった。
確かに、それは一理あるが、そういう物の言い方があるだろうかと驚いた。
こんなことは一つや二つじゃない。
その積み重ねが10年後の今にすべてつながってしまったのだ。
私は子どもが育つのを本当に楽しみにしていた。
心配もその分山ほどあり。それでも夫とはやっていけない思いが強くなり、離婚をお願いし続けた。
私は37歳で出産したので、もう次の出産はリスクが高い。
離婚をしたいけれど、この世に生まれてきた我が子に、できるなら兄弟を・・・と考えていたので、二人目を、狙って狙って・・・一回でお腹に来てくれた。
これで私が早く死んでも兄弟がいれば助け合えると思った。
二人目が誕生した。
両手に我が子を抱いたとき、子どもへの愛情は半分こではないことがわかった。2倍でもない。
この子には幸せな未来を!と思った。
子どもへの気持ちの日々に、毎日夫のイヤな言葉を聞く毎日。
子どもが大きくなればなるほど、なかなか思うようにいかない子育てに夫は私の育て方が悪いとののしる。
我慢していても、私も人間。時々爆発して頭の中で何かが切れそうになることが増えてきた。
悔しくて泣いて叫んでしまう日も増えた。
夫がお風呂から上がって体を拭いていたある日、私は悔しくて離婚して!と言居続けたら、夫は静かに私や子どものいるところへ来て、バスタオルで私の首に巻き付けしめる仕草をした。幼い子ども二人はそれを目の当たりにした。
殺されると思った。
私は、この夫といれば最後殺される・・・。
子どもの前でそんなことをする人間を私は許さないと思った。
この人から逃げたい。強く、強く思った。
またある日は、また口論になった。顔を近づけてきて、私がもう答えられないとこまで追い詰めてきたので、私は肩を押したら、思い切り足で太もも横をけられた。ドンという重い衝撃でしばらく歩けなかった。翌日もあるけない。引きずる足でお風呂に入ると、私の足には手のひらを大きく開いたほどの青い黒いあざができていた。痛すぎる・・・!!
シャワーをあびながら泣けてきた。子どもがいるから、一人逃げるわけにはいかない。どうしてこんな人と結婚してしまったのか。浅はかだった。
後悔と子どもへの申し訳なさで・・
毎日泣けてきた。
子どもは大きくなっていき、私と夫の仲の悪さは日常的になっているのを見ていくことになる。それを避けたかったけれど、毎日、なんらかの形で私に文句つけ、それを知らぬ顔できるほどのできた私でもなく・・
子どもは仲の良い両親を知らない子供になっていった。
そこへ、幼児のころからの発達障害。
どれだけ、大変な子育てとなっているか、夫は絶対認めない。すべて、私の子育てが悪いとしか言わない。だから、何も言わないでおこうときめた。
あちこちで発達障害について勉強してみた。普通にこそだてするのと、それほど大きな差はないように思ったけど、そこが、簡単ではないことは子どもが10歳になった今、本当によくわかる。
私が働いて子育てするには、この発達障害をどうやって私が関わればいいのかを悩ますことになる。それでも、夫といることで、私は1日も安心できた日はなく、もう限界となっていくのを感じた。
子どもは親をみる。夫のしぐさや言葉使いをそっくりそのまま真似る。
私を子どもまでが罵倒するようになった。
夫と同じ口調で、攻められると・・・・
次第に私の行き場がなくなっていった。
子どもは10歳と8歳の今・・・
私は初めてもう子どもと離れて生きたほうがいいかもしれないと思うようになってきた。
それでも我が子はかわいい。育てたい。育てる責任がある。大人の私が勝手に子どもを欲しがり、子どもへの自分勝手な想像で子育てをし、夫に似てきたから、そんな理由で一緒に生きていくのがつらいなんて世間も私も自分を許せない。
体も心も身動きができなくなったある日・・・・
私は倒れてしまった。
2018年8月26日だった。