救急隊員さんを好きになったんです

一方的な気持ちをつづります。隠しながら・・さらけ出します。

好きになるってこんな気持ち

倒れたとき、もう自分は精神的にだめになるかもしれないとよぎった。

体が勝手にこわばる・・顔がゆがんでいく・・

子供らは私の顔をさわっている・・

でも何もかも抱えている人生の大きさに耐えられない・・

子どもには心でごめんねを繰り返していた。

 

そこに救急車がきた。

子どもが自分たちで救急車に電話をかけたのだ。

住所もわからないのに、どうやって?

とにかく、私の過呼吸が落ち着いた時に隊員さんが部屋に入ってこられた。

 

事情を説明した。でも、だからといって、病院に行くまでもないのは自分でわかる。

だけど、もう何も考えられない。答えられない。

一人の隊員さんが、座り込んでいる私の前にきて、様子をみててくれた。

私は声を発することも疲れていた。

そこへ夫が帰ってきた。

声がした。

一気に底へ落ちていく感覚になって震えがとまらなくなった。

そのときに、様子を見ててくれた隊員さんは私の目をじっとみたあと、

「車へいきましょうか。」とその場から連れ出してくれた。

救急車の中で私は呼吸を整えた。

その隊員さんは、ゆっくり丁寧に私の目をみて、話を引き出してくれた。

病院に行かなくていいですか?

家にもどれますか?

など、当たり前の質問だけど、その隊員さんの目を見て答えていると・・

涙があふれてあふれてどうしようもなくなった。

後の会話は覚えていないけれど、

その隊員さんは手を握ってくれた。

その瞬間

我慢していた気持ちや、自分に嘘ついてた気持ちや、周りの人への想い、子どもへの罪深さ、自分へのあきらめ、私の存在、頼ることの出来ない孤独・・

そんなすべてが、

この隊員さんにすべて受け止められたような気持ちになった。

なんて心地いい安心感。

この人なら全部出しても大丈夫なんだ・・・

つらかった。こんなふうに大事にしてもらいたかったんだ。

その握られた手から、

私はその隊員さんに倒れ込みたい気持ちを抑えるので必死だった。

戻りたくない現実が時間を刻む。

 

この人を好きになってしまった。

 

ずっと救急車の中にいるわけにはいかない。

家に戻っていった。

隊員さんは帰り際に、何かあったらここに電話をかけてくださいと、紙に心の相談室の電話番号を渡してくれた。

「あぁ、私は心が病んでいる人と思われたんだ」と、私の気持ちはフッと現実にかえってきた。

そして、玄関で「ありがとうございました。」と挨拶をして扉を閉める瞬間も、隊員さんは私を気遣ってくださってか、ずっと目を見続けてくださいました。

そのほんの扉を閉める何秒かに、私は「行かないで!!」と何度も心で思いました。

行かないでほしい。この人の近くにいたいと悲しいほど馬鹿なことを思いました。

 

結婚や、ただ尽くすだけの恋愛や、何かにしばられた中にいた私からすると、

私が本当に心から安らげる人を好きになったことに、

なぜ、今頃こういう気持ちになってしまったのか、どうして今なのか、気づくのが遅すぎたことに、

後悔するばかりでした。

 

あの隊員さんは若いし、私には子どもがいる、

そして、鏡を10年ぶりに自分をのぞき込んだら・・・・

 

そこには苦労じみたシミやしわだらけで輪郭も変わってしまった

情けない私がいた。

 

思うことも許されないいい歳をした私だ。

この出来事は、救急隊員さんの業務だっただけの話で、その安心は作り物であっても、

もう一度私の存在を生き返らせてくれたことは間違いない。

年齢を重ねてしまったからこそ、気づいた私の本当の人を好きになるという気持ち。

もう、あの日の前の私には戻れない。

戻れないけど、この気持ちをどうにかすることもできない。

 

日々の中

 

私は心の底に隠して死ぬまで支えにして生きていくんだと、そう思うようになった。

私は?

何も変わらない生活をする。

離婚をしてくれる日を探して、いつになるかわからないから、

子どもたちをはやく立派にして、

私は

いつか元気なうちにすべてから解放されたい。

自分勝手なのかもしれないけど、

人はどこで誰と出会って、自分を支えてくれるのか予想もつかない。

若く美しいときは過ぎて、老いることしか残されていない肉体なのに、

好きになるという気持ちはずっとピュアなものなんだと。

純粋であるものなんだと。

人は笑うだろう。気持ち悪いと思うだろう。

 

私自身もずっとそう思ってた。

 

50歳を目前にして

最後の恋愛非常事態。

 

そっと静かにこの気持ちは隠していきました・・・。