救急隊員さんを好きになったんです

一方的な気持ちをつづります。隠しながら・・さらけ出します。

それからの日々

その翌日

私は子どもを学校へ行かせる準備を考えなければならなかった。

9月1日にはピアノの発表会もある。

発達障害の子どもには、予定をうまくこなすことが難しい。

難しいという意識は子供らにはなく、目の前の出来事に手をつけるだけ。それに期限があっても、用意ができていなくても、そんなの全然関係なくそんなの・・・

朝から晩まで、やりたいだけのことをする日々。

それだけならまだましだけど、何年も私と夫のもめごとを見続けてきた子どもは、相手の嫌な言い回しをまねてさらに関係がややこしくなる。

発達障害に限らず、夫婦仲が悪いと、子どもにいいことなんて何一つおこらない。その責任は・・・・

もう一生私は背負うことになるのかもしれないと思うほど。

 

子どもは夫かと思うほどになってしまった。

そんな顔で夫の言葉を真似ないでほしい。

もうやめて、黙っていてほしい、逃げたい、子どもは夫に似ないでほしい!!

無理なことだろうけど、

もう私にはそれがとても辛く・・・

 

また過呼吸がおきそうだ。

もうこんなことで救急車を呼ぶわけにはいかない。

夜は車に逃げ込んだ。

暗い夜、私は泣けてしかたがなかった。

消えてしまいたい。もうこのまま私が消えても、この世界は何も変わらないまま、人は明日を生きていく。私が死んでも、この町はずっと続く。何も変わらない。子どもだって大きくなる。私が消えても明日も明後日も人は普通に生きていく。この地球のたくさんの人間のうち、私一人が消えても誰も何も悲しむこともなければ、困ることもない。

地面にすっと吸い込まれるように、消えていく感覚はどんなんだろうと・・・

そればかりを考えるようになった。

学校が始まり、先生が家に来られた。

私を心配してくれて調子が悪ければ無理をせず、子どもらを学校に任せていいんですよと・・

私は自分がどんな状態かもその時はわからなかった。

でも、とても必死に私を心配してくれている姿は目に焼き付いている。

救急隊員さんのときもそう、たくさんの声は入らないけれど、私を見てくれる視線だけは、心の中にしっかり焼き付いている。

私はその場で病院へ電話をして、心療内科を受けることにした。

でも、私はすべてダメになっているわけではない。

仕事は私の生きがいだから、子どものことも夫の事も頭になく没頭できる。

PTAの仕事も放りだすことはできない。私は、私という身体を使って、いまをやり過ごしていくことをしなければならないと思っているから。

心と身体がバラバラなのがわかった。

 

そうして1か月を待って受診をした。

私が発達障害なのか、それとも精神的な病気なのか、どんな状況なのか、検査をして調べてもらった。

夫は私に「きちがい!」という。

夫は私に「お前のすることは誰も正しいとおもってない。お前気づいてないの?」など、私は一体何が違うのか頭で本当に私がおかしいのかと思ってしまう。

だけど、私はどこも悪くはなかった。

私がこう思うのは正常な範囲だとわかった。

 

だからこそ

こどもが夫の真似をすることに

悲しくて悲しくてたまらない日々・・・

子どもをかわいいと思えないかもしれないという不安が生まれ始めた。

それでも、子どもは毎日何かをやらかす。

私は毎日同じことを教え、説明し、また最後には怒ってしまい、また夫に壊滅的な気持ちにさせられ、車に逃げ込み、ただ泣くしかない時間を過ごした。

私が私でいるために・・・

 

救急隊員のあの方のことも、

倒れてから半年、

思い出してひたるような日々はなく、

ただ

ただ

この夫から離れて暮らしたい思いを実現するために、子どもが夫に似てほしくない一心で、

私は無茶苦茶に生きるしかなかった感じだった。

 

そして、3月18日

子どもが兄弟喧嘩で頭を足で叩かれて様子がおかしかったので、電話をかけて病院をあたるうちに救急車を呼ぶことになった。

兄弟喧嘩をそれでもし続けるので、私はいつものようにイライラしながらどうしてこんなことになるのか、嘆きながら子どもを抱え玄関に出た。

 

ちょうど救急車から隊員さんが出てきたので、子どもの頭を見ながら事情を説明しながら顔をあげると・・・

 

言葉につまってしまった。

この目・・

私は一瞬であの日にフラッシュバックした。

この人は・・・・

あの時のような包み込む目ではなかったけれど、

間違いなくあの人だ。

私はぼさぼさの髪に着崩れした服装、花粉で目がかゆくて眼鏡をし、どこのおばあさんかと思うような・・・

救急車に乗り込んで私は急に恥ずかしくなった。

髪を耳にかけ、このドキドキした心臓をおさえ、子どもの事を説明してるのだけど全然言葉になってないような・・

その人は・・・

あの人だ・・・

間違いない。私はこんなに動揺している。顔なんて覚えてなかったのに、でも覚えていた。この人だ。

名前を・・・名札をちらっとみた。

Tさん・・・

子どもは病院へ連れて行ってもらえた。そこで、あいさつもできなかった。子どもを抱えていたし、だいじょうぶかもしれないけど、もしかしてという心配もあったから、その人にお礼を言いに戻ることもできなかった。

だけど、

私はあの8月よりは確実にはっきりと生きている。心配してもらえたあの救急隊員さんのことは私の奥の奥での支えとなっていた。

それが、そのまま眠っていてくれたらよかったのに、

2度目、Tさんと出会えたことで、

私はあの時だけでなく、本当に本当に好きになってしまっていたことに、気づいてしまった。

 

胸がはりさけそうになった。

 

子どもは検査をした結果問題なく大丈夫だった。

 

その日から、もう、支えは私に好きな人がいること・・・になってしまった。

毎日、毎日、Tさんを思わない日はない。

苦しくなってしまうけど、私の変わらない日々の中に、架空のTさんが私を支えてくれる。頑張ろうって気持ちになる。いつかまた逢えたらいいな・・

でもこんな姿の私だから、逢っても気持ち悪いだけだな・・

すれちがっても、何もおこらない。かわらない。

だけど、私はこの人のことを好きになった事実をもう曲げられない。

 

この好きな気持ちをもって、

私はますます老いていくんだな・・と時々思う。

毎日離婚を考えて、毎日子どもはちゃんと生きていけるよう願って、毎日私は鏡を見て、毎日私はTさんのことを思う。

私の最後の恋愛は、一人で現実の中で思いを寄せるだけのものとなっている。

もっと若ければ・・

結婚してなければ・・

せめて気持ちだけは伝えられたかもしれないのに・・・

そう何度も思うけど、

鏡を見ると

しわだらけの、シミだらけの、、ほうれい線もある、、目に力もなく、髪もうすく、頬もおち、

あぁもう見たくないな。私の姿。

思う気持ちと身体のギャップで、もう、悲しくなってしまう。

こんなもんなんだよね。

 

明日。子どもとどう対話するかでエネルギーを使う。

明日。夫の声をどうやったら聞かなくていいのか考える。

明日。Tさんは何してるんだろうと考える。

明日。Tさんのことを好きな気持ちに向き合う。

 

そして、私はまた一つ老いていくんだ。

 

かなわない恋をしている人

いますか?